とっ散らかった自分の人生を振り返ってみる。インテリアデザインの仕事から始まり、転職に転職、フリーターだったりフリーランスだったり、行き当たりばったりで過ごしてきた。振り返ってみたら、何者にもなれていなかった。
文章を書いてみよう。ふと、昔立ち上げたブログが放置されていたことを思い出した。せっかくだから再開してみようと思ったのだ。執筆に関しては、これまで何度も本腰を入れて取り組もうと決意してきた。しかし、書いては消してを繰り返した結果、何の財産にもなっていない。決意とは?
文章について、唯一アピールポイントとして持ち出せるのは、小学三年生の時に書いた「うちみ」という作文を母が絶賛したことくらいだ。
マンションの階段でスネを強打し、一時間ほどその場で悶絶した。歯を食いしばっても痛みは治まらず、この先歩けなくなるのではと不安になった。
足を引きずって帰り、涙目で訴える私に、母はそれが「うちみ」だと教えてくれた。
あれほど痛いのに、名前はそんなものなのか。もっと大ごとらしい名前を用意しておいてほしかった。
その衝撃を書き殴った作文ノートを読み、母は爆笑した。あれが最初のエッセイだったのかもしれない。
とはいえ、中年男のアピールポイントとして「母は褒めてくれます」はいかがなものか。仕事につながるのか。母が有名な文豪なら話は違うかもしれない。しかし、うちの母は第三のビールと納豆とドラマで幸せになれる、素敵なパートタイマーだった。
仕事にはならなくても、夢中になれるといいな、と思う。子供の頃に夢中になっていたRPGツクールのように。当時はクラスメイトを仲間にして、本人が絶対に言わない台詞を言わせ、口癖を技の名前にした。ジャンプのギャグ漫画みたいな展開を考え、友達を笑わせたくて寝る間も惜しんで作った。
別にゲームクリエイターになりたかったわけではない。完成させて売ろうなんて考えたこともなかった。ただ、面白いものを作って友達を笑わせたかった。今思えば、あの頃は何者にもなろうとしていなかったのに、ずいぶん楽しそうに何かを作っていた。
それがいつからか、何かを始めるたびに「これが仕事になるだろうか」「何かの実績になるだろうか」と考えるようになった。何者にもなれていないことを気にしているくせに、何者かになる見込みがないと始める気にもなれない。ずいぶん面倒くさい中年になったものだ。
中年になると、仕事を見つけるよりも居場所を見つける方が難しい。ブログがそんな居場所の一つになるといいけれど、そんなイメージは一向に湧かないなぁ。
