自己紹介

このブログについて

概要

このブログは、あれこれ仕事を変えながらも、今はプログラミングを頑張って人生を変えようとしている、30代中盤の一児の新米パパの雑記です。

文章スキルもこれから磨いていき、読み物として面白い文章を目指します!

サイト名「さまようよろよろ」とは?

あれこれ仕事を変えてさまよったあげく、何者にもなれずによろよろな状態のことです。

僕のかかっている状態異常です。

ちなみにドラクエが好きです。

こんな人にオススメ

僕と同じように「さまようよろよろ」状態の人、プログラミングを始めたばかりの人、育児初心者の方など、自分の体験が共感を生み、何かの参考になれば嬉しいです!

管理人について

経歴

まだ何者にもなれていませんが、一丁前に挑戦と挫折を繰り返しております。

デザイン事務所→雑貨&カフェ社員(販売員→カフェ長→バイヤー)→イベント業者→広告代理店用DVD制作会社契約社員→居酒屋社員→漫画喫茶アルバイト→工務店会社執行役員→内装一式請負業で独立→プログラミング勉強→現在(夜勤で倉庫アルバイトをしながらフリーランス案件の受注を目指している)

ざっくり少年時代

食卓に出るお肉は父親用の高級肉とその他家族用の激安肉に分かれている、日本では珍しい階級制度を導入した家庭で育つ(笑)

 当時は何も気にせず肉にがっついていていた。肉ならなんでもよし!(今でも)

 そんな父親もいつの間にかいなくなっていて、バイト三昧な青春を過ごし、最終学歴はデザイン専門学校のインテリアデザイン学科を卒業。(卒業制作は奨励賞を受賞して都美展に参加)

じっくり成年時代

 デザイン事務所に入社し、空間デザイナーとして意気揚々とがむしゃらに働く。週3のペースで事務所で寝袋生活をする。単純に体がキツくて退職。

 心機一転、空間デザインではなくプロダクトデザインをやってみたくて就職活動するも、ことごとく落ちる。せめてセンスのあるモノに溢れた環境に身を置きたくて雑貨屋&カフェの店に応募。腰までの白髪、でっかいサングラスをかけてトイプードルを連れた社長と面接。3分で合格。

 雑貨販売をやりながらも居酒屋経験が豊富なこともあり、カフェを仕切ることに。新しくオープンする京都店に3ヶ月ほどカフェ長として就任。

 その後、本店に帰ってきてバイヤーの手伝いまでするようになる。しかし、2ヶ月給料が出ないほどの経営悪化になり、さらっと退職。

 経営に興味が出る。とにかく自分で経営してみたくて、怪しい経営セミナーに行きまくっていたら、怪しい人脈ができて、イベント業を一緒にやることに。出会いの場に行きまくって男も女もナンパしまくって、人を集めてパーティを開くって会社をやる。心のスイッチをオフにして売り上げを作るということにコミットする⋯⋯、も心が痛すぎて辞める。今度は心を使わないロボットみたいな作業がしたくて、DVD制作会社に入社。想像以上のルーティン作業。ロボットのようにキーボードショートカット操作をして、無心でDVDを作成する。最寄駅が虎ノ門なのでランチだけが楽しみな生活に。

また挑戦したい気持ちが芽生えてアツイ会社に入ろうと決意。造形会社、出版社、着ぐるみ制作会社と面白そうな会社を片っ端から受ける。

いくつか受かった中で一番アツイ気持ちを語ってくれた社長さんの会社の入社。デザインスキルを生かして飲食店専門のデザインチーフとして入社。ところがどっこい、入社したらガッツリ居酒屋社員になる。でも、社長さんのアツさは僕の求めるそれであり、社長さんも気に入ってくれて、とんとん拍子で店長に。

 初めて人を育てる、人を管理するというポジションをガッツリ体験する(年上も含む)。これが相当辛かった。数字(売上)と社員教育というプレッシャーの二重層にやられてしまった。今思えば、もっと社長さんを頼って、失敗を恐れず何度も挑戦すれば良かった。しかし、精神的に未熟過ぎて失敗の恐怖ばかり先行して、行動が遅くなりすぎた。結果、売上は落ちる。

 一度、店長の降格を勧められたタイミングで退職。

 アツイ気持ちにやられたので、今度はゆるい職場を求めて漫画喫茶アルバイトへ。全部の漫画喫茶アルバイトがゆるい訳じゃないが、そこはゆるかった。ゆるくて、優しくて、めちゃ楽しかった。いつの間にかバイトという肩書きにしては年上の存在になっていた。それでも「兄さん、兄さん」と楽しそうに話しかけてくれるスタッフと仲良く働かせてもらった。

 特に職場に悪いところはなかったが、1年働くと精神的にも落ち着いてきて、また挑戦したい気持ちが芽生えてきた。そして、すごい良いタイミングで新しく工務店の会社を立ち上げるから、立ち上げメンバーで手伝ってくれ、というお声がかかる。

 最初の職場のデザイン事務所で働いていた時代の職人さんからのオファーだった。その人は当時、解体屋さんの下っ端で、休憩中によく独立の話をよくしていた。僕も独立心が強かったので夢を語り合う仲だった。

 久しぶりの連絡だったが、すぐ昔のように意気投合し、とんとん拍子で執行役員という立場で工務店の社員になる。

 蓋を開けてみれば顧客はもちろん、職人すら準備できていない見切り発車の会社設立だった。だが、逆に燃えた。すべて飛び込み営業で職人との繋がりを作りながら個人宅、設計事務所、不動産、葬儀屋まで、建築内装が少しでも関わりそうな場所に営業をかけた。

 血の滲むような努力で、1件700万の店舗案件を2件取ることができた。もちろん取って終わりではない。まだ信頼関係の浅い職人たちを束ねて、素晴らしい店を作り上げなきゃいけない。

 そして、血を吐くような努力で店舗を完成させ、ゼロから売り上げを作る大変さと喜びを噛みしめた。

 一つ大誤算だったのが社長の存在だった。僕を拾い上げてくれた人は、いくつか会社を経営していて、工務店の方はほとんど顔を出さず、電話連絡のみのやりとりだった(出資して役員というポジションにはいる)

 で、代わりに雇われた社長というのが、僕より5つも年下で、連日キャバクラ通いをし、不機嫌顔で重役出勤し、売り上げも何も作れない残念社長であった。

 僕が必死こいて作った売り上げと利益は、アルバイトの給料と社長の経費ですべて消え、僕の給料は振り込まれなかった。

 そんなこんなで、当たり前のように反りが合わない僕と社長はぶつかり合い、恩師の役員の人に相談し、さっさと独立することを決めた。顧客も職人もありがたいことにみんな僕についてきた。というか応援してくれた。

 その会社は僕が独立して、すぐ潰れた。

内装一式請負業として、独立した。

約三年、ありがたいことに忙しく支えてもらって、売り上げも年間5000万近い数字を出していた。

 そして三年目の冬、一番の顧客だったデザイン事務所が倒産した。というか、夜逃げした。つまり、施主さんから振り込まれたお金を持って、僕ら下請けに一円も払わず逃げたのだ。

 僕は500万ほどやられた。本当は1000万やられるところだったが、前回の振り込みが遅れた時になんか危ないなぁと感じて、その案件だけは断っていたのだ。その会社の横のつながりで掘り返してみると、6000万近くツケが溜まった工務店もあったらしい。

 そこから、弁護士さんとやりとりしたり、僕雇っている下請けさんと連絡したり、毎日のように精神が疲弊していった。

 結果的に独立を応援してくれた職人さん達は大好きだし、僕の貯金から払えるだけ払って、お金関係が落ち着いたところで、僕はこの業界から離れることにした。

 で、次に挑戦するのがプログラミングです!

 まぁ、いろいろあったけど、子供も産まれたし、今は元気に育児とプログラミングを挑戦していきます!

 以上ですm(_ _)m

タイトルとURLをコピーしました